まず「自分」を幸せに。じゃないと・・・


今日も朝から呑んでます。🍺

飲まなきゃやってられない。

人の心の痛みの分からない人間の、理解できない行動

一昨日、嫌なことがありました。

久々にガッツリと あからさまな差別 を受け、人を人とも思わぬ蔑んだ顔をするババア店員に遭遇、という話でしたね。


で、最近は大体、1日経てば落ち着くのですがね。

今回は久々に、ずっとムカムカしています。

なぜ人の心の痛みが分からない奴が多いのか?

なぜ容姿で人を判断して、蔑み、ナメ腐ったような態度を取るのか?

なぜ「自分がされたら嫌だから、相手にはしないようにしよう」と考えられないのか?

悶々悶々としてて。

唯一、酒を飲んでる時はイイ気分になりますが。

でも酔いが醒めたらまた悶々と・・・。

ワークをやったり自己啓発音声を聴いたりするのですがね。

なかなか・・・

相手の幸せを願う←これも大事だが、、、

わたしはスマナサーラ長老の話も好きで、聴いたりしますが、

↑↑ こういうのを聴くと、一時的にですが心が軽くなります。

で、今日はこの音声を聴きましたが ↓↓

「結婚は『自分が幸せになろう』とするからおかしい。相手の事を幸せにしようとすることが大切」

みたいなことを仰っている部分があります。

まあ、そうだとは思います。

というか、これは大切な人が出来たら皆、自然とそう思うものでしょう。

(一部、そうじゃない人もいるかもしれませんが。)

ただね、「まず、自分の幸せが大事」という考え方もあって、それも分かるのです。

自分が幸せな時は相手も幸せにできるけど、自分が不幸だと、相手の幸せを願う余裕が無いのですよ。

まず「自分」が幸せじゃないと

たとえば身近な事例で言うとですね。

今朝 目が覚めた時、ふとまた一昨日の事が頭に浮かんだんです。

当然、気分の悪い目覚め。

でも息子は、そんな事おかまいなしに「パパ~」と いつものように すり寄ってきます。

嫁さんは既に起きて、色々と家事をしています。

傍から見たら幸せな光景でしょう。

でも私の心の中はどうでしょう?

おとといの一件(というか一昨日に限らず、今までずっと世間に されてきた仕打ち)を思い出し、気分が悪い状態。

なので、子どもが「予習お願い」と言っても「はあ、、また~??!!」と不機嫌そうに言ってしまうのです。

算数の先生が厳しいらしく、最近は予習をしていくのですが、朝から付き合わされるので私も眠い目こすりながらで結構キツいのです。

(低学年の算数ならまだしも、卒業間近の小学6年生の算数です。

さすがに大人も頭を抱えるレベルです)苦笑

そもそも私も算数は得意じゃないのに、まだ寝ぼけ眼の状態で「手伝って」と言われるのです。

正直たまったもんじゃないのですが、息子に頼まれると「嫌」とは言えません。

しかし今日は前述のように気分の悪い目覚めだったので、「いい加減にしてくれ」と言ってしまいました。

これが もし普通に機嫌が良かったら、予習に付き合えたと思うのですよ。

だけど自分が不幸だから、(感情的に)人を助ける余裕が無い。

落ち込みながら寝起きで算数はキツイですから(笑)

まとめ

結局、外でも家庭でも人に優しくできない人っていますが、とどのつまり、自分が不幸だから なのでしょう。

自分が幸せなら、相手の幸せも願えるはず。

斎藤一人さんも以前、

「幸せになるのは権利ではなく義務だ」「自分の機嫌を取りな」

と仰ってましたが。

斎藤一人の好き嫌いは置いといて、なるほどとは思いますね。

自分が不幸だと、どうしても人に優しくできないし、人が幸せそうだと腹が立ちますからね(苦笑)

まず自分が幸せであれば、人にも優しくできる。

自分が不幸なのに人の幸せを願えって?

それってものすごく難しい。

そういうモノだと思います。

だから極力自分の機嫌を取って生きたいですね。

簡単じゃないですが、修行?

まあ修行だ!みたいに構えなくてイイと思いますが。

それだと続かなないのでね。

まずはHappy理論よろしく、自分が心地いいと思う状態にすればいいのでしょうね。

だからやっぱり、私は飲みます(笑)🍺

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