昨日は久々に、夕方から家で一人(妻子は嫁さんの実家に一泊)のパターンでした。
そういう日は私、朝から何も食べませんし、前日は休肝日にします。
母にも苦手なモノがあったとは
そして16時。
初めての食事でした。
最初の一口がビール🍺・・・くう~、たまらん!
ここまで我慢した甲斐があったね。
余談ですが、母親は同じく呑兵衛で、特に辛いのが好きなので、母の日ということで「ピリ辛ホルモン」を贈ったのですが・・・なんと、母はホルモンが苦手なのだそう!
45年生きていて、初めて知りました。
なので、こうして料理して持って来てくれて、結局わたしが食べることに。
返って気の毒なことをしたな~。
まあ、美味かったですけどね。
飽きてきた?
しかしね、これは最近よく言ってることですが・・・
最近、何だかこのパターンも楽しめなくなってるんです!
シンプルに「飽きてきた」??のか どうかは分かりませんが。
ちょっと前は、自分の好きな動画を観たりして超・羽目を外して、気づけば10本とか飲んでたのに。
今回は たったの5本でした。
動画も、いくつか自分が気になるモノを観たら、もう飽きてしまう。
以前は青春時代の懐かしい音楽の動画とか楽しめたのに、それすら飽きてきている。
何なんでしょうか?
壁を見ながら飲食する先輩
私が好きな漫画「大市民」シリーズでは、主人公の山形(←つまり作者の分身)は、動画とかじゃなくて、ギターを弾いたり外の風景を見て飲んだりしている描写が多いです。
世の中にも、結構そういう人いますね。
音楽を流しなら飲食したり。
大学時代、先輩の住むアパートに よく出入りしててね。
基本的にドアのカギを掛けないような、オープンな人で。
ある日いつものように「こんちは~」って入っていたら、先輩が音楽を聴きながら壁に向かって食事をしていて、その様子に思わず笑ってしまった思い出があります。
壁を見ながら、無心というか、一心不乱に食べているのです(笑)
わたしは(一人の時は)テレビを観ながらとか、基本的に「ながら食べ」をする方なので、その先輩の様子が何とも可笑しかった。
しかし今思うと、「そういう食べ方の方が正しかったのでは?」と思えてくるのです。
「ながら食べ」は美しくない(?)
たとえば大衆的な食堂とかラーメン屋とかでは、マンガとか置いてますよね?
(今はどうか知りませんが。外食をしないので。)
あれを読みながら食べる人とかいますが(まあ私も昔は たまに やってましたが)、あれは 料理をちゃんと味わってない ように見えますね。
なので、見た目的にも あまり美しくない。
店主は「ちゃんと味わってくれ」と思ってるのか、それとも別に気にしてないのか?
まあ気にするなら、はなからマンガとか置かないでしょうが。
やっぱり料理をちゃんと味わうなら、「ながら飲食」は止めるべきかもしれません。
でも そう言いながら、私は今、朝からまた酒を飲み、これを書いているわけですが(笑)
長年の習慣は そうそう変えられませんね。
でも、家族と食事するときは違いますよ?
部屋にテレビも置いてないのでね。
普通に会話をしながら食べますよ。
「ながら飲食」の根底は、実家(?)
たぶんですが、私が「ながら飲食」を好むようになったのは、親の影響があるかもしれません。
私の父は「家族皆、そろって食べるべきだ」みたいな考えの人だったのですが・・・楽しくないのですよ!
なぜかと言うと、父が寡黙だからです。
「今日は学校どうだった?」とか話す人じゃないので、何となくシ~ンとして、楽しくない。
「これじゃあ意味ないじゃん? 何のために家族そろって食べるの??」
って、ずっと思ってました。
だから私はそのうち、別の部屋で一人でテレビを観ながら食べたりしてました。
その方が気楽なので。
そういうベースが根底にあるので、今も「ながら食べ(飲み🍺)」が楽しく感じるのかもしれません。
しかし先ほど述べたように、それも ちょっと飽きてきている。
しかも目が覚めて一人の時は、どうにも寂しいというか、虚しいというか、ネガティブというか、とにかく嫌~な感情になる。
幸い、今は妻子が帰ってきたので、また賑やかですが。
まとめ
ということで、もう一人晩酌も虚しいな、と思う今日この頃です。
たまには気分転換になってイイのですがね。
やっぱり家族がいてこその自分なんだな、と。
家族がいなかったら、私は一体何者なんだろう?と。
そんな風に思う次第です。
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