神社に行ってお礼を言っても

今日は朝から神社に行ってきました。

神社の空気は澄んでいる

わたしは今年の初詣にすらも行ってないくらい、信心していないのですが。

正確には、信仰心が全く無いわけではありません。
スピ系にも少しは興味があるわけだから。
神様とか、宇宙の法則とか、興味なくはないのです。

神社も、以前は普通に行ってました。
しかし、また例のごとく色々嫌なことがあり、「わたしは神様に呼ばれてないのでは?」と思って、それ以来 行かなくなりました。
(別に神社じゃなくても、どこでも嫌なことはあるのですが。)

でも、嫁さんは割と神社が好きで。
嫁さんに「連れて行って」と言われたら、行かないわけにはいきません。
(普段は あまり お出かけができないので、神社くらいはまあ、なんとか連れていきたい。)

神社は近所にもあるのですが、あえて車で40分の所にある大きな神社に行きたいと言われたので、そこへ。
ドライブ中の会話も楽し。

いざ神社に着くと、珍しく誰もいませんでした。
空気は澄んでいるし、山の方なので景色は良いし、参拝したら何だか心が洗われるというか。
神社って基本的に大木や木がたくさんあるじゃないですか?
ああいう自然の中にいるので、気持ちがイイのだと思います。

なので、行きも帰りも、気分は良かったです。

挨拶しない、されない

ただね・・・やっぱりというか。
たとえば、同じ参拝客がいますよね?
都会だと たくさん人がいるので いちいち挨拶しないでしょうが、田舎の神社だと、けっこう少ないんです。
私たちの後に、夫婦などが3~4組くらい来た感じかな。

で、すれ違う時に、こちらは挨拶をしません。
目も合わさないようにしています。
これが経験上、自分を守る方法 なのです。
もちろん、挨拶されたら100%返します。
でも、向こうも全然してきません。

昔は こちらから言ってたんです。
でも、挨拶しても無視されることが多いので、そんなのが続くと、
「ばかばかしい。もう こっちから挨拶するのは よそう」
ってことになって。
その方が精神的に楽なのです。

そりゃあ、挨拶したいですよ気持ちよく。
でも、無理なんですよ。
ルッキズムで差別するような奴らばかりだから。

反面、嫁さんは どこに行っても大丈夫というか、向こうが挨拶をしてくれるような感じの人なので、今日も挨拶されたらしいですが(←後で聞いた話。)
わたしはもう、終始下を向いていましたね。
どうせ、挨拶せされるわけないのだから。

下を向いていたから?
ノンノン。
仮に まっすぐとか上を向いていたって、してこないでしょうね。
経験上、そうなのですから。

そしてこれは、車を運転中も顕著です。
たとえば、道を譲ったとしても、お礼に頭を下げたり、手を挙げて「どうも」みたいなポーズを取られることも、まあ少ないです。
ほとんど無い。

だから、同じように譲っても すぐにペコリとされたりお礼を言われている人を見ると、「いいよな~」って思います。
同じように親切をしても、わたしは本当に、挨拶をされないのですから。

別にお礼を言われたくてやってるのではないのですが、「やっぱり、どこでも差別かよ」と思うと、怒りやら哀愁やら沸いてきますね。

信心しても、ルッキズムは無くならない(?)

世の中は本当に、ルッキズムが横行しています。
「ルッキズム」という言葉が流行る前から、見た目で判断して差別されるってことは多々ありました。
この辺りは、こういう仕打ちを受けている人にしか分からないでしょうね。

普通に生活をしたい。
普通に、買い物に行ったり、家族と遊びに行ったり、飲食店に入ったり。
そういうことが出来ない容姿。

ウィッグを被っていれば大丈夫だと思っていたのですが、やはり雰囲気は変わっても、「顔そのもの」が変わるわけではありませんからね。。
顔でだいぶ、人生の行動を制限されているのは確かなんです

だから こういう時は、常々話している「Happy理論」とか、そういうのが疎ましく思えます。
「あんたらは普通の顔だから問題ないんだろうが!」と。
こんなこと書きたくも無いのですが、こういう嘆きの気持ちの時は、どうしても そう思ってしますのです(とほほ。。)

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