「できること」だけ考えよう

最近たまたま、飯田史彦先生の講演をYou tubeで見かけて、観た(正確には、寝ながら聴いた)のですが・・・

この音声は昔 何度も聴いていたのですが、映像で観たのは初めてでした。

(飯田先生って、当時こんなに若かったのか。

落ち着いた、分かりやすい語り口調だったので、もっと年配の方だと思っていた。)

人生を変えた一冊

わたしは個人的に、飯田先生の著書「生きがいの創造」にインパクトを受けた者の一人でして。

もう20年も前になりますが。

父親が この本を持ってたのですよ。

父は こういうタイプの本(いわゆる、自己啓発とかスピリチュアル系?)を読むタイプの人間ではなかったので、意外でしたが。

この本に出会った当時は20代前半でしたが、今日まで、この本に書かれていることを基盤に生きてきた気がします。

と言っても、まっとうに生きてきたかというと、そんなことは無いのは、このブログの読者様ならお分かりだと思います(笑)

まっとうどころか、超レールを外れた人生。

いつしか この本の事も忘れてました。

しかし頭の片隅には確かに、いつも、この本を基盤にして生きてきたような節はあるのです。

何となく流れ(運命)は決まってるとか、○んだら終わりではなく、違う世界で生きている(いわゆる「生まれ変わり」)とか、ソウルメイトとか。

結構、人生の概念を変えた一冊と言っても過言ではないかもしれない。

他の本を読んでも、まず先に この本を読んでたから腑に落ちた、みたいなことは多々あったし。

ルッキズムは、何の学び??

で、今日 久々に この講演を聴いたのですがね。

色々と勉強になりますが、何というか、当時聴いていた感想とは また違った感想を持ったりしますね。

たとえば、「この世には修行にきており、この世でないと体験できないこと・学びがある」という件(くだり)。

あらためて、そうなのでしょう。

色々なことがあります。

それは偏に、学び・試練だと。

しかしルッキズムで苦しんでいる昨今、「これは一体なんの学びですか?」と問いたくなるのです。

「店に行ったら差別される」「子どもの行事に行ったら親に侮蔑のまなざしを受ける」という、こういったことは、一体何の学びなのでしょう??

「人をあんなふうに睨んだらいけませんよ」ということ??

私は絶対に そんなことしないのに??

過去生でしてた??

考えれば考えるほど、「???」なんですよ。

例えば、失恋とかは まあ分かります。

私も20代前半で大失恋を経験しましたが、なるほど、あれから強くなったような気はします。

じゃあ この「ルッキズムで辛い」っていう件は?

精神的に強くなるどころか、「この野郎」「世の中なんて・・・」と、ますます卑屈になっているのですが。

人が信じられないというか。

精神的にラクな方を選んで何が悪い

あの世には見た目がどうのこうのという概念は無いはずなので、こういうのも いわゆる「この世に生きてないと出来ない学び」だとは思いますが。

何を どう学べばいいのかが分からんのですよ。

「そういうの気にしないで、好きなことをしなさい」ということ??

でも、そう思って この前の 卒業式 も行ったのに、結果、散々だった。

あんな ひどい仕打ちを受けて・・・「やっぱり行かなきゃ良かった」と。

だから、明後日は入学式を控えているのですが、私は行く気ありません。

行けるはずがない。

その方が精神的に良いわけですから、無理に行くことはない。

別に、子どもも「来てほしい」なんて言わないし。

毎日家で一緒で、楽しく仲良く暮らしてるわけだからね。

わざわざ出来ないことをやる必要は無い と思ってるんです。

つまり、「生きがいの創造」を100%信じて実践しているわけでは無い、と。

本を丸々鵜呑みにするのではなくて、色んな人の本を読んで、自分が出来そうな学びだけ取り入れれば、それで十分だと思うのです。

「出来ないこと」を考えると苦しくなる

ちなみに「できることをやれば良い」「出来ないことは無理してやるな」は、石井裕之さん、Happyちゃん、心屋仁之助さんの本に近い考えかな。


結局、出来ないことを考えると苦しくなりますから、できること を考えないとね。

入学式には行けないけど、送り迎えは出来るし(遠いので)。

行事に積極的に参加できないけど、子供とはいつも仲良く楽しく接して暮らせてます。

いまだに「パパママ大好き」と言ってくれます。

これが全てではないでしょうか?

ちゅーことで、今日も自身の考えを喋ってみました。

いつもお読みくださりありがとうございます。

生きづらさランキング

コメント