なんか「らしくない」タイトルですがね(笑)
今日は「愛」というものについて、自分なりの「現状と考え」を書こうと思います。
愛しているのは事実!なんだけども・・・
まず、何を持って「愛」というのかは微妙なところですが。
どんなに「愛してる」と言ったって、やっぱり人は、自分が一番可愛いものです。
もちろん、「自分よりも家族が大事」という方もいらっしゃるでしょう。
何を隠そう、私もそうです。
コレは絶対に、ウソじゃないです。
ただ、「じゃあ家族のために身を粉にして働いているか?」と訊かれたら、言葉に詰まってしまう。。
そう、どんなに「家族のために」と思っても、こればかりは どうしようもない。
ルッキズムの世の中で人から見た目で虐げられるので、長年引きこもっている。
↓↓
社会から離脱していて、たまに外に出ても やっぱり人から虐げられるので、それが どうしても耐えられないので、どんなに「家族のために」と頭では分かっていても、行動に移せない。
怖い。
怖いから、保身に走る。
こんな感じです。
そもそも、「家族持ちだけど鬱病で休職している」という人なんて、世の中に ごまんといます。
こんな感じで ↓↓
この人たちを責めることなんて、できませんよね?
「家族がいるんだろ?働けよ」なんて、絶対に言えない。
それは本人が一番よく分かっており、本人が一番辛いのですから。。
わたしも、この方たちと同じ気持ちです。
「愛=お金じゃない」ことは、我が家が証明している
しかし まあ嫁さんは、こんな私を黙って見守り、いまだに好きでいてくれて、一緒にいてくれる。
これだけで もう私は、幸せ過ぎるくらいなんですよね。
「セカンド童貞が云々」とか、言ってられない(笑)
よく、『愛は お金じゃ買えない』と言いますね。
あれは当たってます。
金で結ばれた愛なんて、たかが知れている。
しかし彼ら・彼女らに言わせると、
『愛がどうのこうのと言うが、けっきょくはお金が無いと生活できないじゃないか』
らしい。
まあ そりゃね、生きていくのに、お金は必要です。
それは そうです。
しかし、だからと言って 「お金=愛」ではないことは、我が家が証明していると思います。
どんなに貧乏でも、一緒にいてくれる。
それだけ、わたしに魅力があるのか?
自分で書いていて恥ずかしくなりますが(笑)、しかしながら、確かに わたしと嫁さんは気が合うし、お互いが尊重しあい、最高のパートナーだと思っています。
昔はケンカも多かったですが、そういうケンカを通じて、お互いが本音でぶつかり合って、前よりもより仲良くなっている感じ。
誰かが言ってました。
「この人と幸せになろう」じゃなくて、「この人と苦難を乗り越えよう」という気持ちじゃないと、夫婦は続かない
みたいな感じだったかな?
コレ、よく分かりますね。
一体、何が幸せなのか
このブログでも度々 紹介している柳沢きみお先生の作品で、ナンパが生きがいという男のマンガ「マルチェロ」というのがあるのですが ↓↓
ココに書かれていることが、まさに私が言いたいことだった。
『大部分の人たちは愛されずに一生を終えてしまう』
『俺は女に愛されたことがあったっけ』
と、ナンパ師の主人公が、ふと疑問に思う瞬間。
このナンパ師は、それは まあ たくさんの女性と寝ています。
しかし、「俺は本当に愛されたことはあるのか?」と。
まあ この後は、「まあ小難しいことは考えず、今を楽しもう」みたいになるのですが。
たくさんS〇X相手がいても、本当に愛してくれる女性がいないのは、やはり寂しいというか、虚しいものなのでしょうか?
プレイボーイとは程遠い人生を送ってきた私には、この主人公の気持ちが てんで分かりませんが。
わたしは逆に、セカンド童貞だけど、嫁さんに愛されているという、真逆な感じ。
一体、どちらが幸せなのかな??
(たぶん、本当に幸せなのは、両方手にしている人でしょう。
いわゆる、愛してくれる奥さんがいるのに、セ〇レがたくさんいる男。
ちょっと羨ましくもあるが。。。苦笑)
まとめ
ということで、けっきょく、何が幸せかなんて人それぞれですがね。
わたしは とりあえず、心から愛してくれる人がいて、幸せです。
(それは嫁さんだけとは限らず、子どもも、そして両親もかな。)
日々、外に出れば他人から嫌な態度ばかり取られて、不幸ではあるのですが。
人生がプラマイゼロならば、わたしは 世間からは虐げられるが、家族からは とても愛される人生、ということになりますね。
それだけでもマシなのでしょうね、きっと。
色々納得いかない日々だけど、なるべく、しあわせを感じながら生きていこうと思います。
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